
能力について
能力主義について
最近、「弱さ考」という本を読んでいるのだが、これが中々面白い。
まだ途中までしか読んでいないのだが、興味深いので紹介したい。
まず能力主義とは何かを説明しよう。
これは今の社会全体に蔓延っている社会全体のブームのことだ。
会社では能力の高い人が評価され、役職を上げていく。
学校ではテストで能力が評価され、能力を上げるために勉強をしてテストを受ける。
何が言いたいかというと、子供も大人も関係なく、能力がある人が評価される仕組みになっている。
能力主義のもたらす弊害
能力主義があることによって、社会全体は成長して、より生きやすい社会になっていく。
逆にいうと、会社は成長を続けなければ、この成長する社会に取り残され、淘汰されるだろう。
だから会社は成長を続けるために、社員に成長を促してくる。
能力主義のもたらす弊害はこれだ。
社員は無意識のうちに、成長しなければならないという使命に襲われている。
これを受け入れられる人は、成長すればいいだろう。
しかし、この本を書いた著者はアクセルをベタ踏みにして頑張りすぎた結果、うつ病になってしまった。
人はそんなにずっと頑張り続けられないと思う。
しかし、成長して結果を残せと会社はいう。
これをずっと続けていてもどんどん疲弊していくだけだと思う。
能力とは
能力とはすごい曖昧なものだ。
ある職場でコミュ力が高いと言われている人が、老人ホームの職員や介護学校に行ったときコミュ力が高いと評価されるかはまた別の問題だ。
学生の時テストの点数が良くて評価されていても、社会人になったら関係ないのと一緒だ。
能力のあるないは、置かれる環境によってガラッと変わる。
能力とは、その人が持っている力そのものではなく、その人の持っているものと外の環境が合わさって初めて発揮されるものだ。
つまり、社員に成長させることばかり強いて、環境を変えようとしない会社は終わっている。
そういった会社にいるならすぐに転職をすることを勧める。
そして、自分のできることを見極めて、それを認めてくれる会社に行くことを勧める。
脱成長はできるのかどうか
この本は中盤まで能力とは何かについて書かれており、私が今から読むこの先に脱成長について書かれている。
会社は成長を続けないと淘汰されてしまうので、社員に成長を強要する。
会社に所属している限り成長の無限ループは続くので、脱落した人間から社会に取り残されていく。
著者も取り残されたうちの1人だ。
取り残されて、能力主義の外に出たからこそ見えた景色があるといっている。
続きはこの本を読み切った後に書こうと思います。
じゃ、じゃあな。